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◆日本再活性への道 2004年(12月11日発行)冬号より掲載 |
日本には、世界的レベルで光彩を放っている文化・芸術が数多く存在する。宗達、光琳、蕪村、若沖、盧雪、暁斎、北斎、写楽、歌麿、国芳・・・などの絵画から、茶道、華道、工芸、織物、染色、和歌、俳諧、能楽、歌舞伎。思想・宗教の分野では神話・神道、国学、武士道などがある。
しかし、これら世界的な価値を備えている日本の伝統的文化芸術は、あくまでも「古典」の次元にとどまり、現代社会の文化・芸術として受け止められていないのも実情である。特に日本人は外国人に認められるまで自国の優れた芸術家を認めようとしない。それゆえ世界史の中でも希有なこれほどの伝統がありながら、明治以降の優れたアーティストが未だに顕彰されず、過小評価されているのである。これは大変もったいないことである。
これからの日本人は、伝統の中で形成されたこれら膨大な文化・芸術を、現代社会の生きた資源として活用していかなければならないのだ。
これまでの日本は、大切な伝統文化を何処かへ置き忘れて経済活動オンリーで取り組んできた。そして戦後からこの半世紀、世界的な経済大国の地位を築き上げてきた。しかし、日本経済の優位性は大きく崩れつつある。中国、東南アジア、インドなどの目覚ましい経済的躍進により、日本は経済体質の根本的な改革を求められている。
国際日本文化研究センターの笠谷和比古教授は言う「従来型の経済活動を続けている限り、生産拠点をこれら経済的躍進国に移転せざるを得ず、結果、日本国内は空洞化して、失業とデフレを一層深刻化させる。“日本ならでは”という高付加価値型の製品づくりが要求されるのだが、そこに、日本の伝統的な文化・芸術的資源を動員する戦略が想定されるだろう」と。
一方的な先端技術は、数年のうちに他の国々に追随され、開発効果の維持が難しい。液晶技術は日本発だったが、あっという間に韓国や台湾などに追いつかれてしまった。
最近になって、日本の伝統文化芸術を活用し先端技術とうまく合体させ、“日本ならでは”という高付加価値型の製品づくりの研究・開発が進んでいる。2002年12月にパリ郊外の国際見本市において、「伝統文化芸術総合研究プロジェクト」が企画した西陣の技を取り入れた伝統的なちょうちんと「光の掛け軸」を対置した日本の光文化の紹介などがそうだ。その他にも、日本の伝統的な漆塗りの技法を応用し、高級な質感を持つ塗装を施した自動車を製造する手法、微細染色の吹きつけ技術を今日の半導体製造に適用する方法などは、これまでの一般的な先端技術・経済オンリーとは異なる効果をもっている。
日本の千数百年以上も途絶えることのない伝統文化の中で熟成された技法や美意識に裏付けされた製品技術と先端技術が合体する時、その技術力、経済的能力は計り知れないほどに強力となり、持続的効果を発揮するのは間違いないだろう。
いずれにせよ、これからの日本がやるべきことは文化・芸術のソフトパワーを伸ばす以外にないということである。そして絵画においても、美が分からなくなってしまった現代の日本人がまず自国の優れたアーティストをもっともっと評価することが必要となってくる。発展するアジアの中で欧米文化に対抗できる国家は日本をおいて他にはないのだから。前田青邨、熊谷守一、香月泰男、岡鹿之助、藤田嗣治、里見勝蔵、彼末宏、加山又造、鴨居玲、稲垣考二・・・。明治以降100人ほどのトップクラスの日本人画家は世界に絶対通用する力を持っている。日本を再活性させるためには文化・芸術の伝統を復活させなければならない。
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◆再評価が高まる物故作家<物故作家は宝の山> 2003年(12月11日発行)特別記念号より掲載 |
川島理一郎、中谷 泰、葛西四雄、高畠達四郎、坂本善三、石川滋彦、原 精一、全 和凰、平野 遼、高島常雄、奥村光正、甲斐庄楠音、秦テルヲ、菅野圭介、伊藤久三郎、上野山清貢、中村忠二、松下春雄、相田直彦、原 勝郎、四谷十三雄、牧野克次、栗原信、加藤静児、田中善之助、澤部清五郎、鈴木 誠、里見勝蔵、椿 貞雄、曾宮一念、満谷国四郎、三井文二、村上肥出夫、酒井亜人、鈴木保徳、長谷川 昇、北川民次、小野 末、中村直人、齊藤真一、松本富太郎、田中阿喜良、寺田政明、須田剋太、津高和一、野口弥太郎、稲垣仲静、国盛義篤、麻生三郎、長谷川燐二郎、福井良之助、吉岡 憲、鈴木 満、増田 誠、尾崎良二、安藤信哉、中村正義、小松崎邦雄、中川紀元、三宅克己、中沢弘光、井上覚三、難波田龍起、石川寅治、大沢昌助、野口謙蔵、小野忠重、星 襄一・・・他多数
順不同で思いつくままに作家の名前を列挙してみた。ただし、香月泰男、彼末 宏、鴨居玲・・・といった高額作家、ある程度評価されつつある作家は外しております。一般個人コレクターが価格的に買い易い価格帯、10万〜300万前後までにとどめております。 過去から繰り返し述べるように、名前がメインではなく、あくまで質、内容、秀作密度が大切なのは言うまでもなく、安くても内容がなければ全く意味がない。明治以降埋もれた実力作家は上記以外にもまだまだ多数存在しており、今後、発達するオークション等も含めてこれらの忘却された作家などがクローズアップしてくることは間違いない。それにしても日本人は、足元の優れたものを誰かに指摘されるまでいつも忘れている国民なのだ。そろそろ目を覚まさなければならない。 ところで今年9月6日〜10月13日の期間、岡山県の笠岡市立竹喬美術館において、明治末から大正期にかけて注目されながら、その後忘れられていた異端の画家・秦テルヲの全貌を紹介する初の回顧展「異端画家・秦テルヲの軌跡」展が開催された。以後、京都国立近代美術館へ巡回する。(12月9日〜2004年1月25日) 私も早速、岡山まで見に出かけたが絵が生々しく生きていることに実感と新たな再発見の感動を覚えた。企画展内容は退廃的な画風から仏教的なテーマへ変化していく展開をたどっているわけだが、その生涯はまさにデカダンから光明へという大転換の軌跡といえる。 秦テルヲの名前を聞いたことのないコレクターや画商も多数いるだろう。秦テルヲ(1887年〜1945年)は広島県に生まれ、9歳で京都に移住した直後に父を失い、困窮のうちに京都市立美術工芸学校図案科を卒業する。明治42年、日本画への洋画的表現の導入を意図した青年団体内画会に出品し注目される。43年黒猫会の結成にも参加する。45年に京都で個展を開催したのち、放浪生活を送り、貧窮の中で制作を続け大阪、東京、神戸、横浜などを巡り個展を重ねる。この間大正2年には、文展京都会場前で「バンカ・テルヲ展」を開催して反官展の姿勢を強めるとともに、竹久夢二との交流を通して退廃的な様相を深めていく。明治末期には虐げられ貧困にあえぐ人々をある種の社会風俗として捉えたが、大正期に入ると娼婦など社会の底辺にうごめく女性を生々しく捉え、人間世界の暗部を描き出した。その毒々しい官能表現によりデカダンの代表的な存在となった。 しかし、大正10年子供の誕生を機に京都府相楽郡に移り住み、仏教に傾倒して、ゴーギャンなどの影響を受けながら宗教的題材の作品を描くようになる。昭和に入って仏画を描き続け、戦時中は自画像や日記風の水墨を制作、葛藤の中に純粋な制作態度を貫いた一級の作家である。 1995年10月に神奈川県平塚市美術館で開催された「菅野圭介展」や1997年2月に京都国立近代美術館で開催された「甲斐庄楠音回顧展」にしろ、最近になって本当に良い作家たちが正当に評価される時代になったと痛感する。横山大観、長谷川利行、佐藤渓など時を経て再評価がなされるものである。今回取り上げた秦テルヲにしても、初期に描いた労働者、娼婦、子供、母子像など、後半期で描いた多くの仏画にしろ、秦テルヲが本当に描きたかったのは「人間」である。秦の独創的且つどこか温かく人間味溢れた仏画などもっともっと評価されるべきものである。広島生まれで異端画家なのだから良い作品が安く入手できれば、何れこの会員情報の中で特集を組み取り上げていきたいと考えている。
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